おお涼しい。お盆も終わり、秋の気分ひしひしです。ことしは蝉が、ことのほか鳴き急いでた理由がわかろうというもの。どうにも真夏の気分になれず、それでも夏の甲子園が始まって、わが母校・今治西高をひそかに応援してたのに一回しか校歌を聴けず。あれよあれよという間にお盆休みも過ぎて、もう秋を迎えたくなりました。
きょう、おもしろい体験をしてきました。ある俳句の会の句会をリアルタイムで取材させていただいたのですが、俳人の皆さんというのはまさに『京都の不思議』派なんですね。句会の選評に耳を傾けているだけで、不思議ネタにしたくなるような話題が出てくる出てくる。それだけではない、とくに興味をもったのは、俳句の世界でも京都はやっぱり人気の地だそうです。そこで全国の方々が京都を素材に俳句を詠むわけですが、京都の俳人の皆さんは、外から見た京都ではない、京都在住ならではの着眼点を心がけておられるとのこと。やっぱりそうか、という思いでありました。
きょうはたまたま俳句の世界でしたが、そのほかの世界でも、外から見る京都、内から見る京都、いろんな場所で、それらが交錯しているのだと思います。外から見る京都ではない、内から見る京都をもっともっと発掘したい、との思いを強めた一日でした。
(2003年 8月17日記)
蝉時雨
暑い夏がやってきました。ことしは長い長い梅雨、ようやく明けたと思ったら、もう立秋が目の前です。なんか勘狂いますね。蝉も出番が相当待ち遠しかったと見えて、毎朝すさまじく鳴いています。短い夏を予感しているようでもあります。
週末、仕事で高松のお寺に行って、耳をつんざくばかりの蝉の鳴き声に出会いました。ほんと、耳がどうにかなりそうなくらいにもの凄かった。でも、人間社会を上回るほどの蝉社会の大合唱のなかにいると、おお蝉社会もがんばってるなあと、とても気持ちよかったです。考えてみれば、われら人間社会がタジタジとなるほど、底抜けに爽快な生物社会の現場って、わたしたちの身近にふだん、そんなにあるものではありません。そのままそこに居続けたら、きっと耳奥がギンギンしてきそうな、でも蝉たちはそんなことおかまいなしに、われらが場所とばかりの大合唱。自然の摂理優先の、蝉社会の健全なる営みが気持ちよかったのかもしれません。蝉の鳴き声に耳がおかしくなってきたら、わたしが場所を移せばいいわけで、蝉の皆さん、どうか思い残すことなく鳴いてください、という気分でした。
(2003年 8月5日記)
無言詣りの日を過ぎて
祇園祭のお神輿も、お旅所から八坂神社へと還っていきました。三基のお神輿がこのお旅所に入っている間、無言詣りが行われるわけで、お神輿がやってくる七月十七日の深夜から還幸祭前の七月二十三日の深夜まで、無言詣りはちょうど一週間続きます。
わたしはこの習慣がなぜか好きで、『京都の不思議』の一作目にこのことを書きました。肝心の祇園花街では近年、こうしたしきたりもすたれてきて淋しいのですが、でも祇園紹介の本などを見ると、以前よりも無言詣りのことが取り上げられているようでもあります。このしきたりに惹かれるのはわたしだけではない? と少しはほっとしたりしています。
無言詣りのどこがいいかといって、そこに漂うストイックな美学がいいのです。ストイックな美学というと、一歩間違えば自己満足的で、勝手にすれば〜、とわたしなど言いたくなるタイプの人間ですが、無言詣りはそこを間違ってないなあ、と思うのです。無言詣りでは、途中で人に話しかけられないように、知り合いの人の姿を見かけると四条通を向こうへ渡ったり、こっちへ渡ったりします。自らの行いです。駆け引きです。でも運でもあります。なんか、いいでしょう?
つまり社会性や関係性を見失ってないというか、そこにヒジョーに洗練された大人のストイシズムを感じるわけです。祇園の祇園たるゆえんです。こころにアソビ(ブレーキのアソビ、ハンドルのアソビ、というあの遊びです)があるなあ、と唸ってしまいます。
(2003年 7月26日記)
『京都の不思議』出版と祇園祭で、そわそわ
京都は祇園祭のまっただなか。ひと、ひと、ひとで埋まる四条通の書店にも、『京都の不思議』が並びはじめました。どの書店でも目立つ場所に平積みされていて、なんだか感激です。書店の皆さん、ありがとうございます。自分の本と書店で出会うというのは、恥ずかし嬉しというか、怖いというか、前作発売のときはなかなか書店に足が向かなかったのですが、きょう16日の宵山は、本にも登場する新選組パレードの行われる日。取材でお世話になった新選組同好会の皆さんの年に一度の晴れ姿をこの目で見ようと、パレード出発地点である壬生寺まで行ってきました。それで、祇園八坂神社までのパレードに乗じて、四条通の本屋さんをのぞくことができました。
ところで、祇園祭宵山の新選組パレードというのは、京都の人も案外知らないのですが、なんと28年間も続いています。宵山に、なぜ新選組か。新選組が一躍名を成した池田屋事件(映画「蒲田行進曲」のあの階段落ちシーンの)が、祇園祭宵々山の夜に起こったからです。いまから139年前の宵々山も、昨晩同様にぎわっていたことでしょう。ひと、ひとで埋まる京の祇園祭には、そんな血塗られた事件も織り込まれています。それでも朝が来れば、豪華な山鉾が曳かれ、お囃子にのせて京のまちを巡行する。明朝動きだすたくさんの山鉾は、そんな歴史を間近で見て通過してきたのだと思えば、感慨もひとしおです。
(2003年 7月16日記)
やっと、やっと、『京都の不思議』ができました!
すっかりご無沙汰で申し訳ありません。このご無沙汰の間、不思議の第2弾『京都の不思議』と格闘しておりました。ほんと、もう格闘技みたいなものです。『不思議』は祇園祭とともに。京都市内では、宵山の頃に書店に並ぶようです。ああ、やっと、ここまでたどり着きました。ほっ。
このホームページの掲示板「不思議プロジェクト」をご覧になった方は、第2弾が進行していることをご存じかと思います。本当は早く言いたくてたまらなかったのですが、出版社が発表する前にここに掲載するわけにもいかず、そんなこんなでこのコラムを書きづらかったのです。でも出版社では、6月はじめにはなんと、書籍挟み込みの出版予告を出していたみたいで、なあんだ、となったのでした。
スカイパーフェクTV「京都チャンネル」では、第1作の『京都の不思議』を動画エッセイにしてくれました。こちらは本とはまた違った味わいに仕上がっています。60分番組が何本か続くようで、この番組も7月中には始まるみたいです。
というわけで、『京都の不思議』完成のご報告です。第2弾の装幀も、素敵ですよ。今回ももちろん装幀は加藤恒彦さん。ありがとうございました。
(2003年 6月30日記)
「ほっこり」雑感
京ことばの「ほっこり」が近ごろ、どうも変です。気になる、おかしいぞ、という声が、根っからの京都人からもあがりはじめています(本にも書きました。ご参照ください)。
でも、そうした声と逆行するように、京都のガイドブックを開くと「ほっこりするお店特集」といった記事。そして街を歩くと「ほっこりや」というお店だとか、ほっこりアベニューだとか、ほっこりコーナーだとか。それから商品名なんかにも「ほっこり」が登場するほどになってきました。
「きょうは朝から忙しゅうて、ほっこりしたわ」
「長いこと歩いて、ほっこりした」
おわかりでしょうか。ほっこりの意味を、京都の人は「疲れた、たいへん疲れた」といった意味で使ってきました。「ああしんど」といったニュアンスです。
「ほっこりするお店」「ほっこりする喫茶店」にわざわざ入る人がいるのだろうか?
と京都の人は思っています。
いったいどういうわけで、こういうことになってきたのか。目下、京都の不思議のひとつです。
(2003年 4月19日記)
イラクの戦地を思いつつ
イラクと米英軍の戦争が日に日に激化して、京都の不思議、なんていってる場合じゃない気がしてきました。先日、ある取材で、牛若丸でおなじみの洛北
・鞍馬寺をお訪ねしたら、境内のあちこちにまだ雪も残るなか、こんな話をしてくださいました。
先般、鞍馬山中にあるお寺の修繕小屋から失火、ボヤ騒ぎがありました。さいわい本殿やその他の施設への影響はなく、お寺の方々は胸をなで下ろしたのですが、鞍馬寺の火事といえば、終戦直前の昭和二十年四月。本殿を全焼した苦い苦い経験があります。その火事の前後から、太平洋戦争は激化を極め、日本の大都市は大空襲で焼き尽くされ、八月の終戦を迎えたのでした。
だから鞍馬寺では、火事というと戦争の陰を思わずにはいられないのだとか。先般のボヤの際には、米英軍の攻撃開始が秒読みに入った頃だったので、この戦争がたいへんな展開にならなければいいが、とお寺の皆さんは不安を感じられたそうです。
考えてみれば、幕末の京都はテロの横行する都でした。クーデターによる戦火で街中が焼け尽くされもしました。歴史は遠いようで、実はものすごく身近な気がしてきました。
(2003年 3月25日記)
3月の雪と桜のこと
やっぱり降りました、京都に3月の雪。雪大文字の幸運ばかりか、美しい東山の雪化粧に出会えました。前回ここに書いてより、気候は桜守の佐野藤右衛門さんに教えていただいた通りに展開しています。こうして奈良のお水取りが満行を迎えれば、まもなく春。
気になっていたことしの桜開花予想が、先日発表されました。それによると、昨年ほどではないけれど、ことしも開花は昨年に次いで早めとか。昨年は、3月中にほとんど咲いてしまって観光業者泣かせの春でした。でもその春に、桜守の佐野さんは講演や雑誌などで、こう言っておられました。
「桜は旧暦如月の満月に向かって咲くものや。旧暦如月の満月を新暦でいうと(昨年の場合)3月28日。桜はふだん通りに咲いてるだけで、べつに異常でもなんでもない」。
実をいうと、先日佐野さんにお話を伺いに行ったのは、ここを確かめたかったからです。そして、なぜ今年の開花が気になるかというと、ことしの旧暦如月の満月は、新暦でいえば3月18日。昨年よりさらに早くなっています。
願はくは 花の下にて春死なむ その如月の望月の頃
西行が詠んだ如月の望月(満月)は、ことしまもなくやってきます。
(2003年 3月10日記)
この冬、雪大文字に出会えました?
京都の雪景色は、なかなかいいものです。でもこの冬、朝にうっすらと白くなった日は2、3回ありましたが、雪だるまが作れるほどの積雪はまだありません。このままだと、雪大文字の季節もそろそろ終わりって?
いえいえ京都では、3月の雪が意外に多いのです。とくに東山に雪が降るのは、だいたい春先になってから。真冬の間、愛宕山は白くなっても、東山には雪が積もりにくいのだそうで、これは先日、インタビューでお会いした桜守の佐野藤右衛門さんに教えていただきました。
京の街に雪が降り、東山がうっすら白くはなっても、積もるほどではない。その代わり、東山が真っ白になったら、春はもう、そこまで来ているのだそうです。というのは風向きのせいで、春の風は南東から北西に向かって吹く。そこに寒さの残っている低気圧が急激に発達したとき、東山に春の雪を降らせ、京の街を通過したのちは、雨に変わってしまうのだそうです。
というわけで、今年の雪大文字の幸運は、まだまだ残っています。春の雪をひそかに楽しみにする今日この頃です。
(2003年 2月23日記)
『京都の不思議』が思いがけず評判を呼ぶ不思議
本が出版されて2ヵ月。12月、1月と、ちょうどお正月をはさんでのこの2ヵ月間、『京都の不思議』は各書店で思いがけない健闘ぶりです。まあ京都市内に限っての話で、井の中の蛙ではあるのですが。毎日にはじまり朝日、京都、日経と、新聞各紙で記事にしていただき、スカイパーフェクTV『京都チャンネル』にも取り上げていただき、新聞は最後にその総集編のように、読売京都版に「京都本、いま人気」「専門コーナー設ける書店も」「謎、秘密、暴露受ける?」(1/28付)なんて記事が出ました。
いやあ、この本に関しては「暴露」ものに入れてほしくないですね。本を読んでいただいていちばんうれしかったのは、京都人の、それも年配の方々から、面白いといっていただけたことでした。「身の丈サイズの京都情報」「自分がいま、ここに住んでる、実在感のある情報」とのお言葉も嬉しかった。
出版界が不況になればなるほど、春と秋に繰り返される雑誌の京都特集と京都ガイド本の氾濫、TVから連日流れて食傷気味の京都紹介…。京都に暮らしていて、それらが取り上げる「京都」に少なからず違和感を覚えるのは、わたしだけではなかった、ということなのだと思っています。
それから、出版社では本の在庫が底をついたのだそうです。底をつく前に何とかしてよ、なのですが、それくらい予想を超える出来事らしいです。何が不思議って、この本が評判を呼んだことがいちばんの不思議、と編集者にいわれる今日この頃です。
(2003年 2月1日記)
『京都の不思議』の本とサイトは○○関係!?
「さて、この京都の不思議が世に出て、ここに書かれていることより、こっちのほうがもっと不思議、などといろんな不思議がまちで語られ、表出することを実は私は期待している。異論反論もおありだろう。解明が深まればなお嬉しい。本書の役目は口火を切ること。これからが『京都の不思議』のはじまりになればと願っている」──
本のあとがきを、こんなふうに締めくくってより、これは何とかしなくっちゃ、ただ期待して、待って、願っていただけではお話にならないなと思った次第。
で、『京都の不思議』サイトを開設してみることにしました。本とはちがった、新しい展開ができればと考えています。
(2002年 12月27日記)