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年末恒例の顔見世は京都だけのもの? 

当世歌舞伎役者たちも認める、
京の顔見世ならではの、その独特の魅力とは。

 京の年の瀬は、南座の顔見世とともにやってくる。役者名を独特の字体で書くまねき書きが始まったとニュースが告げれば、京都人は年の瀬まじかを実感し、南座にまねきが上がったと聞けば、はなやいだ芝居前あたりが目に浮かぶ。
 南座といえば顔見世、顔見世といえば南座と、格別の歌舞伎ファンでなくとも年中行事となっているのが京の顔見世。あまりに身近すぎて「顔見世って、どういう意味?」などといざ聞かれると、返答に困ってしまうのではないだろうか。
 歌舞伎は東京、大阪、名古屋にもファンはたくさんいる。歌舞伎役者の大半は東京住まいだし、上方歌舞伎といえば、むしろ大阪。にもかかわらず、京の顔見世が特別の意味をもつのはなぜ?
 そもそも顔見世とは、向こう一年の新しい役者の顔ぶれを披露するための興業だった。歌舞伎役者は元禄の時代(一六八八〜一七〇三)ころまでに、各座と役者が一年ごとに契約を交わす制度となり、その契約更改が年の瀬を前に行われた。毎年人々は「今年はどんな千両役者が誕生するのだろう」「どんな大スターが南座にくるのだろう」とうわさしながら、吉例顔見世の幕が開くのを待った。つまり歌舞伎の世界では、顔見世が一年の最初の公演であり、新しい年の幕開け。いまでいえば、プロスポーツ選手の契約更改時期といえるだろうか。
 だから、顔見世は京都に限ったことではなく、歌舞伎の世界の習わしだった。しかし役者と劇場の一年契約制度が寛保年間(一七四一〜一七四三)には崩れたようで、その後も顔見世興行は続いていたものの、江戸では幕末期に姿を消してしまった。しかし京都の南座だけは、顔見世の伝統が脈々と守られ、それが今日あるというわけだ(現在は各地で再び、顔見世の名が復活している)。
 こういう歴史を知れば、まねきに名題以上の役者名が上がる意味や、正面屋根上の櫓と天に伸びる二本の梵天、それに劇場前を飾る大提灯も顔見世において新調され、それから一年を通じて使用される意味がわかるというものだ。南座は顔見世において、ひと足早いお正月を迎えているのである。とくに神が降りるという梵天は、古法にのっとって精進潔斎をし、昔ながらの美濃紙で作られている。他劇場ではプラスチック製の梵天がまかり通るなかで、南座だけの伝統だ。
 そしてまねきもまた、南座だけのもの。まねき書きは一人の職人の手によって、五日間で約五十枚の役者名が書き上げられる。その文字は独特の勘定流で、観客がすき間なく入りますようにとの願いを込めて、内へ内へと巻き込むような字体。墨は酒で薄めて使う。長さ一・八メートル、幅三十二センチの檜の大板に書く時間は、一枚約二十分。字の勢いが命だから、筆の動きはかなり早い。それでいて書き損じは許されない。当世ただひとりのまねき書きである。

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